もしも余命宣告されたら残りの人生をどうやって生きていくだろうか?

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「もし今日が人生最期の日だったら何をしますか?」

「人生最期の日に何といってももらいたいですか?」

「もし余命宣告されたら、あと3ヶ月しか生きられないとしたら、何をしますか?」

どれも本を読んだり、誰かの講演に行ったりすると、よく聞くフレーズではないかと思いますが、なかなか本を読んだだけでは具体的にピンと来ないものです。

であれば、どんなときにこういうことを考えるだろうか。それは家族とか友人とかが亡くなった場合ではないかと思います。

■余命宣告されたことをSNSで告白

最近、とある友人がガンで天国に旅立ちました。先日、誕生日を迎えたばかりでした。彼女と知り合ったのは3年前ぐらいでしょうか。何らかのイベントで名刺交換か何かしたかがきっかけだったと記憶しています。

自分が会って話した感じとしては、明るい感じで人当たりがよくて、それでいて人の顔をちゃんと覚えているようなところがありました。一言で言えば、どちらかといえば社交的な感じで、すぐに人と仲良くなれそう。友達も多そうでした。

自分が良性腫瘍で手術して、退院直後にも会う機会があったのですが、術後の経過とか気にかけてくれていたっけ……。

しかし、行動範囲が似ていなかったのもあり、実際に会ったのは3回ぐらいしかなく、しかも2年近く会っておらず、facebookのタイムラインで近況を確認する程度でした。

そのfacebookの投稿でも、最近見ないなあ、と思っていた2015年の年末、亡くなる1ヶ月半前のこと。

自らが進行性の早いガンに侵されていること。余命3~6ヶ月の余命宣告まで受けたが、その余命宣告をされたのが8月のことで、既に4ヶ月以上経過していること。

そして、最近体調が悪化してきているので、横浜市内の病院に入院することなどを告白しました。そして、末期ガンであることを告白するのが、とても勇気が必要だったことも言っていました。

■最期まで希望を持たせる投稿

それ以来、facebookの投稿頻度が増えてきていましたが、もちろん晩年はずっと病床からの投稿でした。

誰々が見舞いに来てくれたとか、今日の体調はこんな感じとか、胸水がどれだけ抜けたとか。でも、どこか希望を持たせてくれる投稿でした。

やはり友達の多かった人みたいで、多くの人が見舞いに来ている印象で、いろんな人に感謝していた。

そして、体調が相当悪くて、しかも余命宣告まで受けているにも関わらず、最期まで治る希望を捨てていなかった様子でした。

おそらく想像を絶する苦痛にも耐えてきたのではないかと思うし、実際に正直に体調についても書いていたのですが、それでもいつかは治してみせるという意気込みを感じました。

で、タイムラインを眺めるこっちとしては、「もしかして奇跡が起こるのではないか?」そういうふうにも感じたくらいです。

本当は生前、こっちが励まさないといけなかったと思うのですが、逆にこっちが励まされたような……。凹んだ時とか、少しモチベーションが上がりましたからね。

■自分がテレビで紹介されていたのをチェックしていた

最近、自分が、テレビの取材を受けたので、テレビで自分の処女作のことがテロップで紹介されたんですよね。

それをたまたま見てくれていたらしく、タグ付けで教えてくれましたね。「シャッターチャンスは見逃さなかったよ」と。

コメント欄でいろいろやり取りしていたんですが、それが最後のコミュニケーションになってしまいました。数日後に天国に旅立たれました。

■死去1週間前に誕生日

また、亡くなる直前のエピソードといえば、亡くなる1週間前に誕生日を迎えたらしく、その様子も投稿していました。

その人らしく、病室で多くの人に囲まれていましたね。やつれている感じは若干ありましたが、病気と闘っているとは思えないほど嬉しそうな表情を見せていた。

Facebookの投稿としては長文でしたが、最後にこう結んでいました。

「私は本当に運がいい。私は本当に幸せものだ。みんなのおかげ様だ。ありがとう*\(^o^)/*今年も誕生日が祝えて嬉しいです」

最期まで幸せを噛みしめることができるって、なんて幸せなんだろうか。

その後、体調が急激に悪化したのかもしれません。Facebookの投稿がぴたりと止まり、1週間後、旦那さん等の投稿で亡くなったことが明らかになりました。

計算すると、余命宣告されてだいたい半年。医師から告げられた期間の最大値までしっかりと生きていたことになります。

■さて、余命宣告されたらどうしようか

このようなことが最近あり、「余命宣告されたら、自分だったらどうするか」について考えさせられました。

彼女の最晩年は、facebookを見ている限り、とても希望を与えるようなものでした。本当はこっちが励まさないといけなかったにも関わらず、逆に励まされたような気になるような。

数回しか会ったことないですが、たしかに彼女にはそんな雰囲気はありました。誰かを元気にさせるような前向きさとか、そういうのを持ち合わせていた人でした。

それが最期まで多くの人に囲まれる結果になったわけだし、最期まで人に希望を少しでも与えられる人でいられたのだと思います。

本人の晩年の体の痛みとか苦しみとかは、見ていないので想像できないですが、そんな状況を受け止めて、前向きでいられるのは、すごいことだと思います。きっと、かなり強い人だったんではないかと思います。

余命宣告されたら、きっと自分だったらどうするだろうか。「やり残したことを全部やってしまおう」という声もあると思いますが、たぶんそれは自分には無理ですね。

今までやりたくてもできなかったこと、先延ばしにしてきたことを、余命宣告されたからといってやり切るとは到底思えない。むしろ、割り切って諦めると思います。

でも、現実を受け止めて、絶望的な生き方はしたくないと思いました。最期まで、誰かに見届けてもらいたいし、元気とかやる気を与えるような人でいたい。

寂しくは死んでいきたくないし、最期まで影響力の残った人でいたい。その方が、後味良く人生を終えられる気がします。

それには、普段元気なうちから、精一杯生きることが必要なんだと思いました。寂しい人生を送っては、寂しい最期になってしまうし、楽しい人生では、楽しい最期を送ることができる。

これからも、もっと自分に正直に生きようと思った次第です。

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【関連記事】世界から猫が消えたなら|本屋大賞ノミネート作品の感想

2015年の初め頃に読んだ小説ですが、この本も、もし自分が残り数ヶ月しか生きられないとしたら、何をするだろうか、について考えさせられます。

良かったら、併せてご覧ください。

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