「あなたは一生会社の奴隷で良いですか?」
情報商材等の謳い文句でよく聞くフレーズだと思います。情報商材のランディングページとかでこういうセリフを聞くということは、それだけ今でも我々が「会社の奴隷」という単語に反応してしまうということです。
この会社の奴隷という言葉が海外でも浸透しているのかどうかはわかりませんが、少なくとも日本人にはお馴染みのフレーズになってしまっています。
橘玲氏の「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」という本で書いてあるとおり、昔から日本人の多くは会社が嫌いで、会社員の多くが嫌々働いているということに起因していると思いますが、
そもそもなぜみんな会社の仕事があまり好きではなくて、会社の奴隷という言葉に強い反応をしてしまうのでしょうか。その心理はいったいなんなんでしょうか?
今回はその辺を少し掘り下げて書いていきたいと思います。
この記事の内容
■会社員に向いている人は意外に少ない
「会社員が合わない人は独立向きか?それともただの社会不適合者か?」という記事の冒頭にも書いてある通り、実は日本人の会社員の多くは個人事業主向きではないかと思うのです。
組織から飛び出して自分で何かビジネスをする方が向いているのに、独立のリスクを恐れて嫌々会社員を続けている。そんな人は意外と多いと思います。
なんだかんだで会社員の方が給料は安定するし、ちゃんとお金の知識を持っていれば、会社員でも経済的に苦労しない生き方は可能なので、そう考えればたしかに好き好んで独立の道を選ぶ必要もないように思えますが、
生理的にどうも組織の中にいると生き辛い。周りに人がいる環境がどうも苦手という人はとても多いと思います。一匹狼の環境の方が、自分の能力を思う存分発揮できるタイプです。
このタイプは決して協調性がないわけではなく、プロジェクト毎に短期的にチームを形成することは可能だったりします。ただ、何となく周囲に同じ人ばかりいることに息苦しさを覚えているだけです。
こういう組織を飛び出した方が威力を発揮できる人にとって、会社員という立場は苦痛でしかなく、自己実現の場ではなくなります。
会社のなかで悶々としていると、「俺は自由になりたいのに、これでは奴隷ではないか」と思ってしまうのも当然の結果です。
■定年まで働くことを美徳とする文化
「会社の奴隷」という単語を日本人に浸透させた一番の原因は、まさにこれではないかと思います。
高卒なら18歳、大卒なら22歳から60歳まで同じ会社に勤め続けてしまう人は、今でもかなり多いと思います。しかも今は継続雇用制度とかで65歳まで働き続ける人も多くなっています。高卒であれば50年近くも同じ会社、もしくはその関連会社で働くのです。
これも人生の選択なので、やりがいを感じていれば1つの会社に勤め続けることは別に悪いこととは言えませんが、他に選択肢がないと思い込んで、ずっと同じ会社に勤め続けてしまう人も多いと思います。
これは悲劇です。選択肢がないなんて、何といっても息苦しくて仕方ないではないですか。
一部の転職が当然の業界は別にして、このように定年まで働くことを美徳とする歪んだ文化はもしかしたら日本独特のものかもしれません。
どうも日本人は、60歳まで嫌々でも我慢して働き続けて、やっと定年退職してから解放感に満たされるという、かなり特殊な価値観が形成されているような気がしてなりません。
これは会社の奴隷を通り越して、もはや生き地獄です。
こういう歪んだ文化が浸透した会社では、「いずれ会社を辞めて独立したい」と言っただけで周囲から浮いてしまいます。それがまた組織が息苦しい理由の1つです。
■時間の束縛
就職して強く違和感を感じたのが始業と終業を告げるチャイムです。
「学校かよ!!」と思ってしまいました。就職した途端、そう突っ込みたくなった新入社員も多いのではないでしょうか?
本来であれば、仕事は成果を出して給料以上の働きを見せれば誰も文句言わないはずなのですが、なぜか働く時間が決められている。
営業職など独立色の強い仕事なら別でしょうが、その他の事務職、技術職はなぜか働く時間が決められている。会議やアポがあるわけでもないのに、遅刻したら怒られる。ちょっと不思議な気がします。もちろん仕事が終わって暇なのに早退も基本的に許されない。
なお、東京の満員電車に駆け込むサラリーマンの姿を「会社の奴隷」の象徴のように言う人も多いですが、それが嫌なら朝早めに出発して、
計画を見直したり、早朝に勉強や副業してみたり、朝活に参加してから出社すれば良いような気がします。
■パートナーを選択できない
会社員の最大の欠点はまさにこれです。他人と協調することばかりが強制され、一緒に働く人を選択することができないわけです。
ガミガミと怒鳴ることしか能のない殺意を覚える上司でも拒否権はありませんし、気心知れた関係でも、同じ仕事ができるわけではありません。
これでは、毎日顔を合わせるだけでうんざりするのも仕方ないでしょう。いずれ会社の人に興味をなくし、息苦しさに耐えられなくなるのは時間の問題です。
そんな環境だから、愚痴や悪口が横行してしまうのです。それで飲み会なんかしても楽しいわけがありません。
いじめも差別も虐待も、閉鎖的な社会の中からでしか生まれません。自由な世界に、そういう悲しい事件は有り得ないのです。
■給料を決められない
能力の高い人、もしくは別の分野で才能を発揮できそうな人にとっては、上がり下がりのない安定した給料は、逆に不満のもとになります。
特に別の分野で才能を発揮できそうな人は、曖昧な就業規則をある程度無視して副業して自分を試してみるのも大事なことだと思います。
■住む場所まで決められない
自由には、経済、時間、仲間の要素の他に、場所の要素もあります。
ある程度ノマド的な働き方が許容できる業界は別にして、会社勤めになってしまうと、住む場所を自由に決めることができません。
働く場所が東京都内であれば、田舎に憧れても毎日東京都内で働かないといけません。一方で田舎の閉鎖的な空気が苦手でも、転勤して田舎に飛ばされれば逆らうことはできません。海外に飛ばされてしまうことだって今では珍しくありません。
■自立していない
会社の奴隷という言葉が浸透しているのは、会社員が経済的にも精神的にも自立できていないことが大きいような気がしています。
そもそも独立しなければ自己実現できないというのは、もはや時代遅れといって良い時代で、社内政治うんぬんに目を光らせるよりも、自分の強みを発揮していく人が会社の中でも重宝されていっているように思います。
経済的な自立に関しても、会社員の安定した給料という魅力を考えれば、個人事業主よりも投資に回せるお金は作りやすいし、お金の知識があれば、会社員でも大金持ちとはいかなくとも、経済的に不安なく生きることは可能です。
会社の奴隷という言葉が浸透しているのは、それだけ理想と現実のギャップに苦しんでいる人が多いという証拠のような気がしています。