【名作社会派ドラマの感想】聖者の行進の悽惨な虐待シーンの衝撃度が凄すぎる

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今回感想を書く「聖者の行進」が放送された1998年1~3月といえば、ちょうど大学受験直前期のピリピリした時期でした。高校教師のDVDや、この世の果てのノベライズの感想でも書いた通り、1990年代の自分は野島伸司ドラマに相当はまっていた時期です。

当時の野島ドラマって、自分にとって、観た後に余韻で動けなくなるくらいの魅力があったんですよね。でも、このドラマの放送当時は大学受験の大詰めの時期。ここで見てしまっては興奮で勉強に支障が出る。

ということで、観るのを我慢して、志望校の合格が決まった瞬間、第一話から一気に第八話くらいまで一気に見て、後は最終回まで毎週楽しみにしていました。ということで、「聖者の行進」は、個人的に大学受験からの解放感も思い出させる、少し思い出深いドラマです。

今回、久しぶりに「聖者の行進」のDVDを見たので、感想を書きたいと思います。

〇【感想1】「聖者の行進」は悽惨な暴力、レイプの場面が目を背けたくなる

しかし、「聖者の行進」、衝撃的な作品の多い90年代野島ドラマの中でも、突出して悽惨なシーンの多いドラマです。工場で働く知的障害者の青春を描いたドラマなのですが、

実在の虐待事件をモデルにしているらしく、これでもか、というくらい虐待シーンが繰り広げられます。しかも容赦ない。見ていて目を背けたくなるようなシーンがとても多い。あまりに過激な描写に、スポンサーを降りた企業も現れるほどだったと言います。

屈折した現代社会の実態を、徹底的に妥協なく表現するのは、他の野島ドラマにも見られた傾向ですが、それでいて主人公が本当に純粋なのが特徴ですね。純粋であるがゆえに、このようなシーンがより残酷に見えるのかもしれません。

「あなたは本当に障害者を、同じ人間として接することができますか?」という問いに真っ向から挑んだ、記憶に残る名作です。

〇【感想2】「聖者の行進」第5話の角材で殴るシーンが強烈すぎる。

個人的に印象が強いのは、第5話の最後のシーン、工場で唯一障害者想いの優しい工場長が社長たちに脅され、泣きながら障害者に暴力を振るうシーンです。

ビンタで満足できない社長の甥に当たる男が、角材を持ち出して、「こいつでビシッと一発やってくれ」と言うのですが、工場長が泣きながら「もう嫌だ、こんなの人間じゃないよ」と言います。

社長「〇〇、△△、お前ら人間じゃねえとよ」

社長の甥「こいつら相手に、人間になる必要ねえんだよ」

社長「一回で良いんだよ、あまり長引かせたら、こいつがかわいそうだ」

と、甥とその子分に引っ張られるように無理やり角材を持たされ、目をつぶりながら角材を振り落とすと、障害者を守ろうとした別の障害者の女の子の目に当たり、その子は失明する。

このシーンがあまりにも強烈で、心に焼きついています。「こいつら相手に、人間になる必要ねえんだよ」という言葉が、しばらく頭から離れませんでした。

〇【感想3】「聖者の行進」は今ではもう見られないタイプのドラマ

「聖者の行進」のような過激で悽惨なドラマは、おそらく今の時代に、このタイプのドラマが制作されることはないでしょう。

それくらい痛々しいドラマですが、根底に描かれているのは、人間の純粋な心と、人間の在り方。だから、今でも心に残る作品として印象に残っているのだと思います。

ここ10年以上ドラマを見なくなったのは、こういう残酷で心をえぐるけど、ハイクオリティなドラマってのが、その後全然出てこなくなったというのが大きいです。

賛否ある作品だと思いますが、1998年頃のテレビを知らない若い世代にも見てほしいドラマです。

以上、聖者の行進という、今では放送されないであろう、貴重な社会派ドラマの感想でした。

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