今、ここにある幸せを感じようという言葉を最近よく見かけるようになりました。たしかにそうだと思います。
ただ、なかなか幸せを感じることができないことがあると思います。逆に言えば、不幸だと感じる要素、不満に思う要素があるということです。
であれば、不幸と感じる要素を取り除いていくしかありません。
■幸せは「なる」ものではなく、感じるもの
タイトルは忘れましたが、昔読んだ小説に「幸せになるのではなく、感じるもの」ということが書いてあったときに、「なるほど」と感じた記憶があります。
今でこそ「いまここにある幸せを感じよう」というのが当たり前のように言われていますが、この小説を読んだのは、たしか15年くらい前です。当時はかなり衝撃を覚えました。
たしかに、将来幸せになりたいと聞いても違和感があります。あれ? いま幸せではないのか? いま不幸であれば、将来の幸せをどのように想像していくことができるのか? と思ってしまいます。
いまの幸せを感じられないのであれば、将来の夢とかビジョンを明確に考えることは難しいのではないかと思います。
しかし、だからといっていま幸せを感じられないからといって、これから先も不幸な人生が待っているのか、と言われればそれも違うと思います。
■不幸を感じることは変化の必要性を知らせるシグナル
不幸を感じるということは、理想と現実にギャップがあるということだと思います。
自分の理想と大きくかけ離れていれば、確実に不幸を感じます。
・例えば会社を辞めて独立したいのに、経済的不安と他人の目が気になって辞められない
・仕事は好きだが職場の人間関係に悩んでいる
・お金が貯まらなくて困っている
・配偶者との関係が悪い。離婚したいくらいだ
これはすべて理想と現実のギャップです。上記は大きいところですが、小さいところだと、ラーメン食べたい気分なのに、よく行く美味しいラーメン屋さんが定休日だったりしても、小さいところですが不満を感じます。
さすがに食べたいラーメンを食べられないくらいで不幸に感じる人は少ないかもしれませんが、これも理想と現実のギャップです。
もし、行きたいラーメン屋でラーメンを食べることが出来なければ、別のラーメン屋を探すでしょう。これが行為と思考の変化です。
つまり、小さくも大きくも理想と現実のギャップを感じるのであれば、行為と思考の変化が必要だということです。
不幸感は、それを知らせるシグナルなのです。
■不幸な要素を取り除くだけで現在の幸せを感じられる
つまり、不幸な要素を排除するようにすることで、現在の幸せ、当たり前の日常に対する幸せを感じることができるということです。
例えば、会社生活で大きな不幸を感じるのであれば会社を辞める、結婚生活に不幸を感じるのであれば離婚する。
大きなものを手放すことは副作用を伴うので、経済的問題の解決など、手放すと同時にやるべきこともしなくてはいけませんが、不幸を感じるのであれば思い切って手放す必要があることもあります。
無責任なことは言いませんが、自分は会社を辞めて独立して、少し理想の生活に近づけることができました。それだけで、多幸感を感じることができました。心に余裕ができるようになってくるからです。
無駄を排除することで、目標がクリアに見えてきます。不幸を感じる時は、余計なことに時間を使っているということでもあります。
余計なことに時間を使っていれば、どんどん不幸になりますし、ビジョンやゴールから遠ざかることになります。
現在の幸せを感じることができないのであれば、すぐに不幸の要素を取り除くことも大切なことです。
自分にとって、どちらが幸せか、どちらが不幸か、いかに不幸を取り除くかは自分の目標を達成することでとても重要なことなのです。