「自分のことしか考えない」と言うと、あまり良い印象はありませんね。人から嫌われて、成功からは程遠い寂しい人生を送りそうです。
しかし、自分のことしか考えられない人でも、悪いところばかりではありません。むしろ、魅力に感じられることが結構あります。
まずいのは、本当に自己中心的で、他人を思いやる必要性を感じず、愛情も忘れ去ってしまい、他人のことが信じられないような状況です。こういう人は自分のことすら大事にしていないものです。
大事なのは、自分のことを大事にしていること、他人に振り回されないこと、ようは自分をしっかり持つということなのですが、これでもなぜか「こいつは自己中」だと批判してくる人がいるから、不思議な世の中です。
今回は、良い意味で自分のことしか考えられない人について、思うところを書いていきたいと思います。
この記事の内容
■他人よりも自分を優先させているのは自己中ではない
良い意味で自分のことしか考えていない人は、絶対に他人軸で生きるようなことはしません。自分軸で生きています。
自分らしさに徹底的にこだわり、他人の価値観に合わせるようなことが決してありません。勝手に他人が決めたルールに縛られることなく、敷かれたレールに乗るようなこともしません。
もう気付いていると思いますが、これはもはや自己中とは言いません。等身大な生き方です。
でも、なぜかこういう等身大な生き方をしている人に向かって「自己中」と批判を浴びせるような人がいます。こういう人は自分らしさを持つことを知らない、自分に正直に生きられない、組織に毒されてしまったかわいそうな人なのです。
自分に正直に生きられないことほど不誠実なものはありません。不誠実なのは、成功には致命的な要素です。
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■好き嫌いが明確なのは自己中ではない
良い意味で自分のことしか考えていない人は、好き嫌いが明確です。自分の感情を大切にして、それに素直です。
好き嫌いが激しいというと、頑固で視野が狭いイメージで、これも印象があまり良くないのですが、嫌いという感情も決して悪いことでもないんですよね。
嫌いという感情は、不快感情を取り除くセンサーのようなものなんですよね。なので、嫌いなことに敏感でないと、どんどんストレスを溜め込んでしまいます。
嫌いなことがはっきりすれば、その人、物、事象を遠ざけることができるのです。関わってはいけないことがはっきりしているので、好きなことに集中できるのです。
なので、好き嫌いが激しいという感覚は、とても大事にするべきだと感じます。
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■自分のことを優先して生きている人は純粋である
良い意味で自分のことしか考えない人は、自分の世界をしっかり持っていて、目標が明確だったりします。自分の好きなことに対して純粋なのです。
自分は、この純粋という概念をとても大事にしています。誰に何を言われようとも、どんなに忙しかろうと、誰かに変な目で見られようと、素直に取り組む姿勢、とても大事です。
自分は、このマドンナの言葉が座右の銘になりつつあります。
「私は芯が強くて野心的で、明確な目標を持っている。それを批判されるなら本望だわ」
■自分を優先して1人の時間を大事にする
群れない人ほど成功する、または成功者は孤独だという言葉を、どこかで聞いたことがある人も多いと思います。
個人的には、これは1人の時間を大事にするということだと思います。うまくいっている人の多くは、群れている時間が限りなく短いです。
自分の時間を大切にし、読書をしたり、何か情報発信したり、瞑想したり、ランニングしたり、お風呂にゆっくりと浸かってみたり、コーヒー飲んで外眺めてぼーっとしてみたり、目を閉じながらセルフカウンセリングをしてみたり。
そして、こういう時間を確保するために、付き合う人を慎重に選んでいます。
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■自分を優先できる人は自由である
何といっても、他人軸で生きることなく、自分の時間の確保を大事にして、純粋に自分らしさを追求する生き方は、まさしく自由です。
自由の反対は束縛、奴隷、生き地獄です。日本の企業社会や学校が大事にする協調性は、自分を押し殺す歪んだ協調性です。
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しかし、本当の協調性とは、お互いを邪魔せずに、成長し合えるような関係性を築くことだと思っています。責任とも言い換えられます。
責任の伴わない協調性は、自分を押し殺すだけなので、ただ単にショッカーのような戦闘員を生むだけです。そこに本当に必要とされるコミュニケーション能力は存在しません。そして、人工知能の発達によって、これらの人種は必ず不要になってしまうのです。
もっと自分のことだけを考えるようにして、自由な人生を追求していけるようにしたいものです。
コメント
自分のことを考えるみんなの意見に従うのか、みんなのことを考える自分の意見に従うのか、と云うことだと想う。