「僕は何度でも、きみに初めての恋をする。」の感想|大切なものに気付く一冊かも

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今回は、「僕は何度でも、きみに初めての恋をする。」(沖田円著、スターツ出版)の感想です。

すらすら読めるわかりやすい文体。ちょっと切ないけど優しさに満ち溢れたストーリー。

そして、何といっても手放すことのできない大切なものは何かを考えさせられる1冊でした。早速書評を書きたいと思います。

■ケータイ小説を久々に読んだ

この小説はケータイ小説から出てきた本です。出版社がスターツ出版ということで、もしや?と思いましたが、やはりそうでした。

ケータイ小説といえば、10年くらい前に爆発的に流行った時期がありましたが、失礼な話、もう既に下火になって消えているものと思っていました。

しかしこれは僕の勘違いで、爆発的なブームは去ったものの、ケータイ小説というジャンルは定着しており、爆発的な大ヒットほどでなくとも、以前よりも安定した人気になっているそうです。

また、小説の内容も、以前のような事件が続発したり悲劇が畳み込んできたりするような(難病とかいじめとか)ジェットコースター路線ではありません。

激しい起伏はなく、過激な描写もなく、特に大きな事件も起こらない作品が多くなったとか。

この「僕は何度でも、きみに初めての恋をする。」はまさにそんな1冊。読んでいて優しい気持ちになれる恋愛小説。

※ちなみに、ブログ管理人の僕もかつてケータイ小説を書いていた時期があります。もう10年近く前のことですが、悲劇がこれでもかというほどやってくるジェットコースター路線を書いていました……。

■共感できる主人公の設定

主人公は両親の不仲に悩む高1女子のセイという女の子。

「変わらない毎日。勝手に過ぎていく毎日。意味のない毎日。嫌なことだけが積み重なって繋がっていく」(原文まま)

「なんにも綺麗じゃないよ。世界は綺麗だなんて、誰が言ったか知らないけどさ、そんなの、それこそただの綺麗事じゃんか。覚えておきたいくらいのものが、こんな場所のどこにあるわけ?わたしには見えないよ。忘れてしまいたいものだらけ。だっていつだって、どこでだって、こんな世界、汚れたものしかないんだから」(原文まま)

この主人公の気持ち、何だかわかるわー、と感じました。

ありますよね。もう、何もかも忘れてもいい。何も残らなくていい。自分の周りは全部汚れて淀んでいる。そんな気持ちになることが。

中学の時、高校の時、大学の時、社会人になってから、時期は人それぞれ違うかもしれませんが、このような気持ちになったことのある人はとても多いのではないでしょうか。

自分もこういう気持ちになったことがあります。悩める人の気持ちを的確に表現していて、主人公の設定にリアリティがあり、共感しやすいです。

■本当は失いたくない大切なモノ

そんな、何もかも消してしまいたいセイの前に現れたのが、優しい雰囲気だが、どこか不思議な感じのハナという男の子。

実は彼は中学の時の事故で記憶が1日しか持たない。忘れたくても忘れてしまう。大切な思い出、楽しい出来事まで忘れてしまう。

何もかも忘れてしまいたいセイと、覚えたくても覚えられないハナ。この対照的な人物設定で、著者が表現したかったことは何だろうか。

「すごく苦しいのも、嫌なのも、どんどん目の前が淀んでいくのも、早くこの場所から逃げたいのにどこにも行けないからじゃなかった。本当はずっと、大切なときのままで大切にし続けていきたかった」(原文まま)

逃げたい逃げたいと思っても、決して実行しない。これは決して無理に我慢しているわけではなく、本当は大切なモノがあるから。捨てては行けない宝物があるから。セイはハナとの出会いを通じて、自分の本当の気持ちに気付きます。

断捨離とかミニマリズムとか、自分の好きな考え方ですが、だからといって大切なモノ、人まで切り捨ててしまってはいけない。

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仕事から逃げるとしても、本当に大切なモノまで置いてきてしまってはいけない。それでは決して幸せになれない。目標を追い求めるあまり、大切なモノを見失ってはいけない。そんなことを考えさせられる1冊。

大切な人との時間を大切にしているでしょうか?ケンカしてないですか?ストレスを与えてないですか?謝らないといけないことはないですか?

もし、その人がいなくなってしまったら、どんな気持ちですか。読んでいるうちにそんなことを考えました。

ラストは、少し切なくて悲しいかも。でも、読者に優しい気持ちを与えてくれる終わり方だったと思います。

優しくて読みやすいので、すぐに読了できます。本当は目の前に大切な何かがあるのではないかと思っている人は、一読してみてはどうでしょうか?