きっとこれを読んだら、諦めかけていた夢が、やっぱり諦められないようになると思う。今回は、そんな純粋で好奇心に満ちた気持ちになる1冊の本の記事を書きたいと思います。
「好奇心を天職に変える空想教室」(植松努著、サンクチュアリ出版)です。植松電機の植松努さんと言えば、あのTEDのスピーチで感銘を受けた人も多いと思います。
「どうせ無理」そんな言葉に流されて、好奇心も趣味も人生の楽しみも全部なくしてしまった人に贈る、感動的な1冊です。
この記事の内容
■忘れかけていた夢を思い出す
・何となく憂鬱な毎日、我慢して大嫌いな会社に通って、うつ病寸前になっている多くのサラリーマンとOL
・友達ができず、目標も見失い、何のために大学に入ったかわからなくなった大学生
・将来の夢も何も思い浮かばない、醒めた気持ちの中高生
著者の生き方は、あらゆる世代が読んでも勇気と感動を与えるはずです。死んでいた目に、少し輝きが増してくるのではないかと思います。
忘れかけていた、子供の頃に夢中になったこととかが、きっと思い出されるでしょう。そして、自分が夢中になれることを、すぐにやってみようと思うでしょう。
小説家になりたければ小説を書き始めるでしょう。歌手になりたければ、仲間を集めてバンドを結成してみるでしょう。
子供みたいな夢でも、諦めるよりは諦めない方が良い。その方が人生楽しいじゃないか。そんなふうに思わせてくれる1冊です。笑顔をなくしてしまったすべての人におすすめしたい1冊です。
■印象に残った箇所
※引用箇所は原文ままです。
〇夢は諦めさせられた
実際、日本人には「あきらめたんじゃなくて、「あきらめさせられた」人の方が圧倒的に多いのです。<夢とは……はかないもの。叶わないもの>だと思い込んでいる、いろんな人たちによって、です。
僕は何度も小説家になるのを諦めた方が良いとか、ライターで独立するのは辞めた方が良いと言われてきました。でも、もう良いんです。
今のままの人生を歩む方が、よっぽど生き地獄です。諦めの先の人生ほど生きづらいものはありません。だから、やっぱり僕は会社の仕事を全部投げ捨てて、自分の夢に走って行きたいと思います。
〇間違いだらけの会社選び
楽とか安定とか高い給料を求めて、会社を選んだら大変なことになります。なぜかというと、必ず「思ってたのと違った」と悔やむことになるからです。
僕は学生時代、そして全然楽しくない研究室生活がトラウマになってしまい、「これはやりたくない」「あれもやりたくない」「とりあえず残業が少なそう」「激務ではなさそう」という視点でしか会社を選びませんでした。
入社当初は、二度と研究室のときのような思いをしたくないと思い、頑張ろうと思いましたが、そもそも会社で夢を叶えようみたいな思想が最初から欠落していたので、結局入ったことを悔やむことになりました。
さらに過去を遡ると、何か夢があって大学に入りたいわけではありませんでした。脚本家か小説家になりたいと思いながらも、数学だけ得意だったので受験科目だけで工学部を選んだのです。学びたいことが何もなかった。
よく考えたら研究室が楽しくないのも当然のはず。理系の研究室って、研究嫌いになるとかなりキツイですよ。
〇「してもらう」ではなく「してあげられる」人へ
たとえば、ある大学生は「自炊ができない」らしく、全部外食かコンビニ弁当で済ませています。だから月に何万円も外食代を払っています。「洗濯もできない」といって、月に何千円もクリーニング代を払っています。
(中略)でも反対に自分が「できる」ようになれば、誰かに「してあげられる」ようになります。お金の支出が減るだけではなく、それは仕事になるかもしれません。
これは本当にその通りだと思います。何も自炊しろとか洗濯しろとか言いたいわけではなく、何か「してもらう」「やってもらう」だけでは、永遠にお金を払う側になってしまいます。
常にお客さんの状態では、お金は一方的に払うだけです。でも、自分で何か夢中でやってみて、何かを創り出せるとしたら、それはお金になるコンテンツです。この差はとても大きいと思います。
消費する趣味はお金を失うだけですが、生産性のある趣味はお金をもらうことができるのです。別の頁では、著書では次のように書いています。これも引用したいと思います。
ほとんどの日本人は、夢も趣味も「買うしかない」「してもらうしかない」「お金を払うしかない」と思い込まされてる。だから、お金がほしいのです。
でも、本当は、夢とか趣味というものは、自分で考えて生み出すものです。それはお金で買えないものです。だからこそ、経験や、仲間の方が大切になります。おまけにそれは仕事になるかもしれません。
お金をずっと払い続けて、会社の奴隷のまま貧乏のままでいるのか?それとも知的好奇心を探求して、それがいつの間にか仕事になっていた方が良いのか?どちらが良いですか?
〇自分で考えて、自分で試す
自分で考えて、自分でためしたことというものは、なかなか他人に信じてもらえません。応援してもらえないし、ときにはバカにされたりもします。でも気にしなくていいんです。そういうものなんです。
成功者の話の中で、「最初はみんなバカにした」という話はよく聞きます。結局100万円くらいの利益にしかなりませんでしたが、僕が本を出版するときも「そんなのコンテンツになるわけがない」とか言っていた友達がいました。
でも、結局本になりました。貴重な副収入を得ることができたし、テレビの取材も多く入りました。講演のオファーもありました。この経験は、きっと方向性を変えるこれからも生かされることでしょう。
〇日本の学問は資格商法
戦争でなにもかも焼けてしまった日本では、誰かが発明した1のものを、10にしたり100にする、そういう「大量生産」をすることが、みんなにとってとても大事なこととなりました。
(中略)日本人はひたすらコピーをしてきたのです。やがてうまくコピーをしてきたこれらの会社は、たくさんの人を雇ってくれるようになりました。だから多くの人がこれらの会社のことを、「一流企業」や「大企業」と呼ぶようになります。
この結果、どういうことが起こったか。大企業は、たくさんの学生が応募してくるので、面接が面倒になり、人格よりも学歴で一次試験をするようになります。
そして大学は本来の学問探求の位置づけを失い、「会社に入るための資格」になってしまいます。そして、高校は大学に入るための資格になり、結局日本の学問は単なる資格商法になってしまったと、著書では書いています。
しかも大学の学費は高いので、とんだ悪徳商法と言っても良いのですが、日本は未だに東大はすごい、三流大学は格好悪いみたいなことを思っている人が多いのも事実です。この思い込みは、大人になって窮屈な自分を作り出してしまいます。
他人のものさし、つまりブランド力に依存しては、絶対に幸せにはなれないのです。成功者に高学歴の人が少ないのも、こういうことが背景にあるからかもしれません。
〇人に弱みを見せる
企業同士が「自分の得意なこと」を持ち寄ったときは、全然うまくいかないということです。ところが企業が「自分のできないこと」を持ち寄ったら、うまくいくことが多いのです。
自分の足りないところをひけらかす。これはとても大事なことだと思うのですが、会社勤めしていて、このようなことを教えてもらったことは一度もありませんでした。
閉鎖的な企業社会では、案外選択肢が勝手に狭められるのです。「自分の弱みも克服しろ」なんて言われるし。
特に数年前の面談で「お前はAに進みたいのか、Bに進みたいのか」と言われて絶望したことがあります。どっちかしかないなんて……。CとかDとか言ったら聞いた耳も持ってくれないし。もちろんAもBも嫌ですなんて言えない雰囲気です。
会社に疑念を感じ始めたのは、これがきっかけだったのかもしれません。勝手に敷かれたレールには、夢も希望も何もないのです。
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この本を読んで、やっぱり「夢は諦められない」と感じたのですが、では自分の夢は何なのかを紹介したいと思います。
書いたことある人も多いと思いますが、自分の夢リスト100です。ちょっと恥ずかしいですがシェアしたいと思います。
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同じく植松努さんの著書「思うは招く」「NASAより宇宙に近い町工場」の書評です。「どうせ無理」をこの世からなくしたい。そんな思いが詰まった1冊です。