会社を辞めることが確定し(退職願も出したので)、どこかすっきりした気持ちではあるんですが、一方でもやもやした気持ちも残っています。どこか退職に対して罪悪感が残っているような気がします。
ブログの継続的収入や、これまでの総資産を元手に、組織の束縛から逃れて、自分のやりたいビジネス(執筆業ですが)に専念できるというのは、とても嬉しいことなのですが、どうもこの罪悪感が精神的に邪魔をすることがあります。
この罪悪感を引きずったまま辞めたい会社に残り続けても、人生を無駄に浪費するだけです。この罪悪感は自分の本音と違うものであり、本来持つべきではない罪悪感だからです。
■会社への裏切り行為という罪悪感
自分が会社を辞めて独立すると会社に宣言した日、意外と多くの人から「今までおまえにいくら払ってきたと思うんだ」という声がありました。
自分に今まで払ってきた給料やボーナス、退職金だけではなく、研修やセミナーに参加させたお金(旅費なんかも含む)も含んでいるので、結構な額だそうです。
正直、個人的にはこの部分には罪悪感を感じていません。「だから何?」とか「そんなの知るか!!」と逆ギレしたことあるのは少し反省していますが、これを気にしていたらキリがありません。いつになっても会社を辞めることができません。
自分の人生を、これまで自分に払ってきたお金でちらつかせて縛って欲しくないですよね。自分の人生を生きるために、こればかりは振り切るしかありません。
■なかには仲が良い人もいる
自分は長年退職&独立を計画していましたが、退職を意識するようになったのは会社の仕事と自分の適性の不一致(理想と現実のギャップ)や、会社の人との価値観の大きな違いでした。
価値観が大きく違う人ばかりで(独立志向がないなど)、どこか自分の居場所ではないような気がしていたので、あまり会社の人とは仲良くなかったと思っていました。実際に友達と言える人は少なかったです。
しかし、いざ会社を辞めることが決まると、結構仲の良かった人もいたことに気付きます。マイナス面にしか目が言ってなかったのかもしれません。「寂しくなるなあ」とか言ってくれる人もいます。
これは自分も少し心が動きましたが、でも大きな組織にいる以上、好きな人と嫌いな人両方出てくるのは当然のこと。自分が望んでいるはずの進路を曲げる理由にはなりません。
■両親の反対
自分の場合、両親の反対がものすごかったです。「この会社に入っておけばずっと安心」という信じられないくらい前時代的な価値観の持ち主で、しかも超偏屈で、この考え方を曲げないんです。
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これを説得するのに、とても時間がかかりました。正直、泣くはわめくわで大変でした。
いったい人の人生を何だと思っているのか、もう実家には帰らないようにしようと思ったくらいです。それぐらい偏屈な考えを曲げなかったんです。
柔らかく言えば、「心配してくれている」とか「大学まで通わせてやったのに、なんで会社辞めるんだ」ということになるんでしょうが、今回の両親の反対ぶりは、そのレベルを遥かに超越するもので驚愕に値するものでした。
しょうがないから毎日ストーカーのように電話して、ようやく説得しました。
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しかし、歓迎モードで独立を祝福してくれているわけではないですから、どこか心にしこりが残ります。ちょっと両親を心配させてしまっているかもしれないと。
収入は支出をようやく上回ってきた程度ですが、総資産は現在の年収の数倍あります。だからすぐに食いっぱぐれて両親の扶養に入ることは考えられないのですが、それでも両親は心配みたいなので、少し後ろめたいような気はします。
ですが、両親の反対に屈して会社員を続けることほどバカげたものはありません。なぜか会社の上司も「親は何と言ってるんだ?」としきりに気にしていましたが、そんなこと気にしていたら独立が遅くなり、チャンスを逃す危険性もあります。
■誰かに仕事を押し付ける罪悪感
結論からいくと、この罪悪感は自分にはありませんでした。誰かに仕事を押し付けるために、引継ぎという退職や転勤の恒例行事があるのですから。
引継ぎさえやって、会社を辞めてしまえば、もう自分の知ったところではありません。経歴は残るとはいえ、もはや会社の業務とは一切関係がなくなるのです。
会社を辞めたら、ようやく畳んでいた翼を広げて大躍進することができるのです。それを考えれば、自分の抱えている仕事を誰かに押し付けることに罪悪感を抱くことが、どんなに小さいことかがわかるでしょう。
会社を辞めれば、誰かに仕事を引き継がなければいけないのです。これを気にしていたら、いつになっても会社を辞めることはできないのです。