子供の頃は、よく「おれは100歳まで生きるんだ」とか豪語していたのを覚えています。
しかし、大人になって、そんなに長生きしたいという感じはしないです。少なくとも100歳まで生きることには興味ない。
別に早く死にたいわけではないですが、だからといって、100歳まで生きたいか、と言われるとそうでもないです。
というより、100歳どころか、85歳まで生きるという想像もつかないです。
■寿命は想像つかない
病気になるかならないか、事故に合うか合わないかはコントロールすることはできると思いますが、寿命はそもそもコントロールできない。というのもあります。
80歳で寿命を迎えることもあれば、それこそ100歳まで寿命が続く、ということもあるわけで。
目標設定を重視している身としては、こんなこと言ってはいけないかもしれませんが、何歳まで生きたいとか、そういうのはあまり考えたことはないですね。
目標設定する際は、10年先のことまでは計画立てるので、それまでは生きる前提になっていますが、30年後ぐらいになってくると、どういう人生を歩んでいるか、正直あまり想像がつかない。
長生きに興味ないというか、長生きする想像がいまひとつできない感じです。
■死ぬ直前まで健康
ただ、長生きに興味ないとは言っても、おそらく多くの人は、死ぬ直前までは健康でいたいと言うと思います。
「あ、う……」と言って、苦しむことなく突然亡くなる。もしくは寝ている間に亡くなる。こういう逝き方は憧れますよね。
みんなそう思うのは、日本は長寿国かもしれないけど、健康な国かどうかと言われれば疑問に感じている、というのもあるんでしょうね。
どんなに長生きしても、何年も病院通いしたりするようなことは、なるべく避けたい。
■長生きは手段
よく「明日死ぬとしたら、あなたは何をしますか?今のままの人生で良いですか?」という言葉を聞きます。
自分、正直この言葉にピンと来なかったこともあり、逆に「今日が残りの人生の最初の日だよ」という意味を込めて解放デビューというタイトルを思いついたんです。
明日死ぬとすれば、どうするか。たぶん自分は何もしないような気がします。期限が1日であれば、どうすることもできないでしょうし。1日くらいだと、好きなものを食べることしか思いつかないです。
明日死ぬとして、人生このままで後悔しないか?これも1日くらいではどうしようもない。明日死ぬ、ってすごい逼迫した状態だと思うので、そもそもそんなこと考える余裕なんてないと思うんです。
で、半世紀後死ぬとして、人生このままで良いか?と言われると、これははっきりNoと言うと思います。で、これが願望の明確化や目標設定のモチベーションに繋がってくるわけです。
長い人生生きるのであれば、もっとより良い人生を生きたいと思うでしょうし。そう考えると、長生きは、それ自体が目的ではなくて、手段なのではないかと思うのです。
それにしても30年後、50年後、自分はどうなっているんでしょうか。自分が夢リストで書いたことはだいたいやって、それを人に教えていて、経済的に不自由がいっさいなく、病気もしていない。少なくともこの状態は達成していたいですね。
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本当は本記事で書いたように、死ぬ直前までピンピンしていたいはずなのに。
その理由について、思うところ書いてみました。