「普通」という言葉が嫌いな理由|日常生活の口癖で注意したいこと

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孤独2

もう20年以上前の話になりますが、1993年に「高校教師」というドラマが大ヒットしました。当時の放送界は野島伸司ドラマの絶頂期で、とても見応えのあるクオリティの高いドラマが多かった時期でした。

このドラマで、こんなシーンがありました。真田広之演じる主人公の高校教師が、桜井幸子演じるヒロインの父親を訪ねて会話するシーンです。たしか第3話くらいのシーンですね。一応原文ままです。

(教師)「僕は教師で、彼女は生徒だし、だいいち恋愛関係になるには年齢差があり過ぎますよ」

(父親)「モラリストなんだな」

(教師)「ごく普通の考えだと思いますが」

(父親)少し声を荒らげて「普通ってのはなんだ?あ、いや…母校の美大の生徒にも、あなたのような学生がいましてね。日常の中にある何げない構図とか、そう…普通とか、私はね、そういう言葉を聞くと妙にイライラする。普通ってのは一体なんだってね。そんなものは何も起こさない、起こせない奴の逃避なんじゃないかってね。ただ長く生きて、死ぬだけの…」

このヒロインの父親というのが歪んだ屈折した愛の持ち主で、実の娘を近親相姦したり束縛したりする不気味な人物なのですが、妙にこのセリフな納得するものを覚えました。

「普通ってそもそも何だ?」たしかにそうですね。別に奇をてらうつもりはないですが、自分もこの言葉が、どこか嫌いです。今回は、この普通という言葉について、思うところを書いていきたいと思います。

〇他者基準の危険性


別の記事で書評した本にも書いてあった通り、普通って他者基準の言葉だと思っています。自分の軸がまったくないというか、他人と比較して生きているような感じを匂わせる言葉だとつくづく感じます。

「普通にお金があればいい」「平々凡々な人生でいい」ここだけの言葉を聞くと、いったいどれくらいのお金が欲しくて、どんな人生を望んでいるのかが全くわからないし、他人と比較しているような感じがして、思いが常に流動的な感じがします。

「あの子が〇〇持っているなら、私も欲しい」みたいな、最も大事な自分の願望が他者によって左右される状態、すごい危険だと思います。

常に平均値を求める状態を求めてしまうと、いくらお金があっても足りなくなる。特に危険だと思うのが、自分の価値観を職場の人達の価値観に合わせてしまうことです。

職場の人にはいろんな人がいます。毎日のように飲み歩いている人、ギャンブル好きで全然お金が貯まらない人、勢いで家を買ってしまった人、ローンを組んでまで高い新車を買う人。

普通という言葉を使ってしまうと、このような生活をしてしまう人のお金の使い方とか、ライフスタイルに対する価値観とかが重要な参考値になってしまうような気がします。

別に自分の願望ではないような気もするけど、手に入れないと気持ち悪いから手に入れる。結果的に全然お金が貯まらない。

会社員ならば会社の同僚、自営業であれば普段仕事で接する人や友人が持っている価値観に気を付けることです。他人の多くの持ち物が、自分の求める物とは限らないのです。

〇足並み揃えて他人と同じ行動することを強制


「普通こうするだろ」「普通こんな書き方しないだろ」「普通この場であのプレゼンはないだろ」という感じで怒られたことはないでしょうか?

だいたいこのような怒り方をする人って、どこか目立つ人を嫌っているような感じがします。足並み揃えて他人と同じ行動することを強制する雰囲気。

一見集団行動を重視する日本人の美徳と捉えられがちですが、そんなの美徳でも何でもない、ただの束縛に過ぎません。他人と歩調を合わせて生きて、本当に居心地が良いのか、とても疑問です。

普通という言葉には、どこか突き抜けた才能を持っている人まで排他的に扱ってしまいそうで、どこか閉塞感と寂しさを感じてしまいます。

〇やっぱり「普通」は何も起こせない


先の高校教師のヒロインの父親のセリフに話を戻すと、「普通ってのは一体なんだってね。そんなものは何も起こさない、起こせない奴の逃避なんじゃないかってね」という言葉がありましたが、

う~ん、たしかにそうだなあと思います。抽象度の高い言葉は使うのが本当に楽だったりするのですが、具体的に表現できないというのは、願望が明確化になっていないことの現れのような気がします。

自分も願望を考えたり、そのために何をすべきか考えるときに、具体性のない言葉を出してしまうことがありますが、だいたいそういう時は明確になっていない。明確になっていないから実現しない。

このブログのコンセプトでもある、精神的、もしくは経済的な平安を手に入れたいという意味で「普通」という言葉を使う人もいるかもしれません。ちなみに高校教師の主人公がそんな感じだったような感じがします。

ただ、何か行動を起こしたり考え方を変えて明確な願望を持たないと、そういう意味の「普通」は実現できないと思います。

そもそも人それぞれ願望は違うので、目指す人生や価値観が違うのが「普通」です。どこか生き辛い、毎日が息苦しいと思っていたら、「普通」と思っていた雰囲気から早く脱却していくのが大事かもしれません。

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この記事を書いた翌年、この記事のことを少し思い出させるようなイベントに行ってきました。

違いを認め合ってより良い社会にしていく。とても素晴らしい試みだと思いました。

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コメント

  1. ai より:

    私は貴方様の考え方に共感します。私は普通という定義を否定しませんが普通という冷たい言葉が大嫌いです。

    • 石井 裕 より:

      コメントありがとうございます。
      「普通○○しないよね~」って
      一種の思考停止なんですよね。
      ただ、自分も気をつけたいかと思います。