会社を辞めて旅に出る……。そんなことを考えたことがあります。そして、最近またそんな衝動に駆られることも多いです。
「会社を辞めて旅に出る」までは行かなくとも、休職して旅に出たいと思うこともあるし、実際に有休使って旅に出たこともあります。
ただ、有休を使って旅に出る程度では、得るものも限定的な気がします。結局、旅を終えたら会社に戻ると思うと、心が圧迫されるからです。
もちろん、束の間の非日常を味わうのも良いですが、会社を辞めたら、身も心も自由なうちに、当てのない旅に出たいと思います。
「モノやお金がなくても、豊かに暮らせる。―もたない贅沢がいちばん」(ヘンリー・D・ソロー著、増田沙奈訳、興陽館)という、「森の生活」のソローの名言を中心に紹介した本を読んで、改めてそう思いました。
この本の前半部分の書評は別記事で書いていますので、今回は後半の第4章~第6章について書いていきたいと思います。
■小さく働けば、自由に旅にでられる
〇稼ぐための仕事。その仕事をするためにまた金が必要となる。ならば、いっそのこと稼ぐのをやめたらどうか。
ブログとかアフィリエイトは基本的には自己資金のいらない仕事です。研修やコンサル代を除けば、必要な設備投資は、せいぜいレンタルサーバーとドメインくらい。
小説の執筆になれば、さらに設備投資もなく、パソコンでwordがあれば充分だったりします。このように、僕は借金してまで独立開業したいという思いがなかったりします。お金のかからないことが好きなようです。
必要な資金といえば、設備投資だけではなく、人件費も出てきます。僕はお金をかけたくないし、人間関係も自由でありたいから、独立しても誰かを雇用したりすることはないでしょうね。せいぜいランサーズとかで外注するくらいでしょう。
必要な時に必要な人が集まってチームを作って、終わったら解散する。それで良いじゃないですか。
〇すべてのものから手を放し、すべての仕事の手を止め、自然に身をゆだねる。鳥のように。されば、やるべき仕事は減っていく。
自分が2016年中に会社を辞めたいと考えている理由は、不要な時間や人間関係を断捨離し、ブログに小説の執筆にメルマガに一極集中していきたいという思いがありますが、他にもあります。
自然に身を委ねて、空を見たり森を見つめてぼーっとする時間を作りたいのです。
早朝ウォーキングをすれば、そういう習慣も芽生えるのですが、平日の早朝って、出社の時間が迫っているから圧迫感があって、自然を楽しむ余裕がなかったりします。
もっと、そのまま眠ってしまいそうなほど、自然に溶け込んで、すっきりした気持ちでいたいという思いがあります。
それが手に入れば、たしかに余分な仕事は不要かもしれませんね。
〇ほんとうに知るべき重大ニュースは、めったにない。それなのに、人々は毎日ニュースを知りたがる。
まったくもってそう思います、だから最近は新聞はほとんど読まない。もちろん電子でも読まない。さすがに日経新聞はたまに目を通そうかなと思うくらい。
興味のあるニュースであればYahoo!ニュースで充分だったりしますが、最近は興味のあるニュースも減ったのか、ネットでニュースを見ることも減りました。
一応資産を運用しているので、昨日のマイナス金利導入のニュースには関心を持ちましたが、こういう経済関連の話題もネットで配信しているニュースで充分だったりします。
興味のあるニュースといえば、資産運用に関わる政治経済の話題と、天気予報ぐらいかなあ。
■自然と生きることは「贅沢な楽しみ」だ
〇もう使わなくなったものは、火をつけて燃やそう
この本で紹介されていた、ある部族の風習が、とても素敵だと思いました。(以下原文まま)
あらかじめ新しい服、鍋や釜、家具などを用意しておき、それまで着ていた服や不要になったモノをかき集め、家はもちろん町をまるごときれいに掃き清めてから、ゴミもがらくたも、余った穀物も食料品も、すべて一緒に燃やしてしまう。それから住民は薬を飲み、三日間断食したあとで、町じゅうの火を消してまわる。
まさに脱皮ですね。これを読んで、自分も参加したい!と思ったのは自分だけでしょうか。
モノだけでなく、会社員の肩書きも早く火を点けて燃やしてしまいたい衝動に駆られました。
〇不要なものをそぎ落としていけば、野性的な力がみなぎってくる。
これは感性とか思考といっても良いかもしれません。不要なものをそぎ落とし、住むスペースも小さくしていき(雨風を凌げれば良いくらい)、生活と執筆に必要なものだけで生活する。
本当に必要なものだけに囲まれていれば、多幸感が出てくるでしょうし、余計なことを考えずに済むようになりますからね。
これは、本当に最近つくづく感じます。車上生活したくなってきた……。
■持たないから豊かに生きられる
〇なにもいらない。自分だけを見つめ、自分だけについて書けばいい。
情報発信や創作活動の本質として、外してはならない要素だと思います。でないと、エッジが立たない。他の人と書いたことと同じような感じになって面白くない。
極端にいえば、それ以外は不要かもしれません。「誰かにこう思われたらどうしよう」とか、「〇〇に嫌われたらどうしよう」みたいな。そんな感情に従う行動を選択していくと、必ず不幸になるだろうなあ。
自分だけを見つめていけば、いらないと思えば、モノだろうが人だろうが捨てていく。2016年はそんな1年です。
〇金もない。仕事もない。友もない。だから、すぐに旅に出られる。
お金はあった方が良いと思いますが、お金で幸せにはなれないですよね。あくまで選択肢の数が増える、自由の手段。
仕事をしていても、友達が多くても、別に幸せにはなれない。特に仕事に至っては不幸になる可能性も高い。
不幸になる仕事や人間関係であれば、どんどん切り捨てても、それ以上不幸になることはなく、逆に多幸感に満ちてくると思います。
お金を持っていることと同様、行動の選択肢が増えるから。身軽になることで、ふらっと旅に出ることができるから。
〇その他の印象に残った言葉
・都会と田舎の間をモノが行き交う。そして、人々の中の才能が消えていく。
・話し相手がいない夜、ボートを湖の上に漕ぎ出し、フルートを吹く。それ以上必要なものがあるだろうか。
・ものの見方を変えれば天は、どこにでもある。それに気付くかどうかである。
・金やモノが与えてくれない「生の実感」。森の中で春のきざしを見つけたときほど「いま生きている」と実感することはない。
【前半部分の書評】何もないからこそ幸せを感じる|物もお金も持たない贅沢