もうだめ…嫌なことから逃げる人生はそんなに悪いことなのか?

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僕たちは生まれつき、「嫌なことから逃げることは悪いこと」と教えられて生きてきました。

学校の勉強が好きな人なんて誰もいないのに、「勉強しなさい」と言われて嫌々宿題したり、

就職したら、「簡単に会社辞めたらいけないよ」なんて言われて、毎日嫌々会社に行ったり……。

嫌々なんだけど、それが正しいと教えられて生きてきました。不幸なことが正しい。それが日本人に強く根付いている価値観の真実なのではないか、そう思うこともあります。

■嫌なことから逃げずに幸せは不可能

でも、そうやって生きてきて、「心から良かった」と感じられたことはあったでしょうか?自分の記憶を思い出しても、ほとんどないです。

大学4年と大学院で配属された研究室なんて、良い思い出はほぼ皆無で、嫌々行かずにさっさと逃げれば良かったと思っているし、今まで会社員として働いても、正直働いて良かったと感じたことは全然ありませんでした。

(⇒大学の理系の研究室って実は鬱転しやすい環境です。詳細はこちら)

むしろ、会社を早く辞められるように、お金やスキルの面で工夫していく過程、つまり投資を実践したり、本を書いたり、今だったらブログを書いたり。そんな、嫌なことから逃げようとする自分の方が好きになれました。

月々の安定した給料よりも、一瞬だけ得た100万円にも満たない印税の方がよっぽど嬉しかったし、月々数万円程度のブログの収入の方がよっぽど充実感があります。まあ、ブログは今後もどんどん伸びしろがあるから、というのが大きいですが。

過去を振り返ると、僕が心から幸せとか充実感を感じることができた時は、どこか「逃避」とか「解放」の要素を含んでいるときでした。

例えば大学に合格したときは、「もうずっと机にかじりついて勉強しなくても済む」という解放感に満たされましたし、

大学を卒業したときも、「もう研究室に顔出さなくて済む」という解放感に満たされていました。

嫌なことの反動とはいえ、幸せを感じられたことには変わりありません。

嫌なことから逃げずに幸福を感じることは不可能です。どうやって逃げようか模索して、ようやくそれが突破できたとき、幸福を感じる権利を得られるのだと思います。

■頑張れば頑張るほど不幸になる

でも、なかには「嫌なことから逃げても、どんどん状況が辛くなるだけだよ」なんてことを言う人もいます。

一見反論されているように見えますが、おそらく議論が噛み合っていないのではないかと思われます。

自分が逃げるべきと言っているのは、将来進みたい方向とはまったく関係のない、よく考えたら早く手放したほうがいい事象です。

自分が頭に思い描いている、快適な未来から外れていることで頑張っても、苦痛でしかありません。

「嫌なことから逃げても、どんどん状況が辛くなるだけだよ」という論理は、自分が将来求めているものを手に入れるために必要なことだけに限定されます。

例えば、ダイエットしたいと言って、でも「好きなものを好きなだけ食べたい」と言って、「腹八分目」とい嫌なことから逃げても、どんどん太っていくだけです。

それはたしかに不幸です。であれば、今は空腹に耐えて、ダイエット成功という将来の幸せを手に入れた方が幸せです。

でも、例えば10年後、今の会社にいたいか?と言われて、答えがNoなのに、会社で頑張り続けても不幸なままです。頑張れば頑張るほど不幸になります。これは明らかに逃げた方が良い。

嫌なことから逃げるということは、どちらかというと「手放す」「捨てる」「断捨離する」という表現の方が適切なのかもしれません。

自分にとって不幸な要素は、とことん捨ててすっきりして自由に生きたいですね。

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