偏屈すぎるお酌のルール|歪んだマナーに誰も疑問に思わないのか?

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自分の職場ではそんなにうるさく言う人は少なくなりましたが、飲み会や懇親会の席で、少しおかしいんじゃないかと思われるお酌のルールというのがあります。

ビールでも日本酒でも、ワインでも、どこから来たかわからないお酌のルール。それを守らないと「そんなことも知らんのか!」と叱責する老害達。

そんな歪んだマナーに疑問を持たず「わかりました!」と素直に言うことを聞く、ショッカーみたいな部下達。

そんな偏屈なルールに縛られては、これで楽しく親睦を深めることなんて不可能ではないかと思うのですが、未だに日本しかないであろう、何のためにあるかわからないルールというのが存在します。

■偏屈なお酌のルールの例

ここで、摩訶不思議なお酒の注ぎ方の例を挙げてみたいと思います。

まずはビールの注ぎ方。ビール瓶に貼ってあるラベルを上にして、しかもラベルを隠さないように配慮して瓶を持ってお酒を注ぐというもの。

さすがに未だにこのルールを守っている人は少ないと思いますが、残念ながら少数ながら気にする人がいます。

わざわざ「ラベルは隠さずに注いでね」とアドバイスしてくる人もいます。特別天然記念物や絶滅危惧種と同等なくらい稀有な存在と信じたいところですが、思ったより多いです。

ビールを注いだときの、ビールと泡の割合を気にするほうがよっぽど大事だと思いますが……。

ラベルを隠そうが隠さなかろうが、ビールの味は別に変わらないのに……。

もう1つ、日本酒の例でいくと、徳利でのお酒の注ぎ方です。注ぎ口から注ぐのではなくて、敢えて上にして、注ぎ口ではない方から注ぐ方法。そう、いわゆる「縁の切れ目」です。

これも気にする人が稀にいます。じゃあ、徳利を作った人はなぜわざわざ注ぎ口を作ったのでしょうか。

これは先のビール瓶のラベルの件より気にする人は少ないです。どう考えても非合理的な注ぎ方だからです。そもそも、注ぎ口が縁の切れ目なんて、誰が決めたことなんでしょうか。

どう考えても、何のためにあるかわからない摩訶不思議なルールです。非合理的で、人間関係を育むどころか破壊するものでしかない。

こんなことにこだわる人は、おそらく自分の中の常識に縛られた、視野の狭い人ではないかと思います。あまり友達になりたくないものです。

■もっと大事なお酒のルールがある

こんな形式的で、誰が決めたかわからないようなルールに従うことに、何の意味も感じません。

本来であれば、みんなが楽しく飲むために、もっと大事なお酒のルールというのがあるはずです。

人の悪口や愚痴を言わない

・空いたグラスに率先してお酒を注ぐ

・テーブルに食べ物に偏りがあれば他のテーブルに回す

・いきなり怒ったりキレたりしない

非合理的なお酌のルールに縛られるのは好ましいことではありません。そういう文化が根付いているようであれば、少し距離を置くことも重要かもしれません。

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