仕事はそこそこ?ワークライフバランスという言葉に感じる違和感

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ワークライフバランス

ワークライフバランスという言葉がいつ生まれたかよくわかりませんが、もうこの言葉が浸透して5年ぐらい経っているような気がします。

ワークライフバランスの定義は、たしか以下のような感じです。(wikipediaより引用)

国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる

一見すると、ごもっともな思想だと思います。家族を大切にできる人こそが仕事でも大きな成果を出す。これは否定しません。

でも、なんだか長いあいだ、この言葉には違和感を感じていました。いまいちこの言葉に対して興味がわかないんですよね。

フリーエージェントやノマドワーカーという言葉が浸透してきた時のような、「お、それイイね」という感じには全然ならない。

今回、なぜ僕はこの言葉に違和感を感じているか、思うところを書いていきたいと思います。

■仕事はそこそこ?

ワークライフバランスについては、各企業の人事部とかにも浸透してきているのか、企業によっては、このワークライフバランスについて勉強会を開いたり、教育DVDを視聴したりしているみたいですね。

「残業ばかりしていないで、ちゃんと家に帰って、ゆっくり休んだり家族サービスしたりしましょう」みたいな、たしかそんな中身です。

正直言うと、ワークライフバランスという言葉が出てくる以前に、こういう取り組みは、形式的に終わっているとはいっても存在はしていました。

でも、たしかに月に50時間とか100時間といった過度の残業は精神的にはよろしくないのですが、別に仕事はそこそこで良いというわけではないわけで。

もちろん仕事はそこそこで良いという意味で名付けられたネーミングではないのはわかっているのですが、なんか、仕事はそこそこ、もっと人生を楽しもうよ!!というふうにも聞こえてしまうネーミングではあります。

■ワーク≠ライフか、ワーク=ライフか

おそらく僕が感じていた違和感は、そもそもワークとライフはイコールなのか、そうではないのかということです。

ワーク≠ライフだと、前日したように、「仕事はそこそこ、もっと人生を楽しもう」みたいな感じに聞こえます。どこか、「労働は必要悪、本当は人間は労働が嫌い」という意味にも聞こえます。

でも、仕事を嫌いになったらって、その分プライベートを充実させようとしても、結局幸せにはなれないんですよね。

何だろ、実は仕事は嫌いな傾向が強い日本人独特のネーミングに聞こえてしまうんです。

ワーク=ライフとして考えるのであれば、そもそもこの言葉の意味がわからなくなりますが、実際にワーク=ライフなのではないでしょうか?

ここまでは仕事だけど、ここからはプライベートのように、そんなに境界線を設けるべきではないと思います。

とはいっても、会社員でいると、どうしても仕事とプライベートが別のように感じてしまいます。このような錯覚が、どうも自分は好きではないんですが、これは組織ならではの欠陥ではないかと思います。

プライベートの時間でも、全然仕事のことを考えても良いと思うんですよ。別に家族をないがしろにしろ、とかそういう意味ではないです。自分とか家族とかを大事にするから、常に仕事のことを考える。そんな感じではないでしょうか。

特にフリーランスになれば、ワークとライフの境界線そのものが無意味だと思いますし、その方が幸せだと思います。

ワーク≠ライフでは、なんだか会社の奴隷みたいですからね。

■参考記事

【参考記事】日本ではなぜ”会社の奴隷”という言葉が浸透しているのか?

今回の記事については、なにげに上の記事にも通じるところがあるような気がします。

なんか、会社の奴隷という言葉が浸透している日本人が好きそうな言葉に見えるんですよ。ワークライフバランスって。

良かったら、併せてご覧ください。