なぜ我々はうんこマークの起源に疑問を持たずに生きてきたのか?

シェアする

unchi_character

絵とかマンガでよく見るうんこマーク。あのトルネード状の形をしたマーク。いわゆるまきぐそ。

多くの人は見慣れたマークで、あのトルネード状のマークを見たら、誰でも「あ、うんこだ」と言うと思います。

うんこでなくても、うんこマークのような形をしたモノを見れば、誰もが「うんこみたい」と思うと思います。

実際に、そういう形をした食べ物があって、最近も後輩と「うんこみたい」と話していました(小三かwww)。

でも、会話をしていて、あるとき、ふと疑問に湧きました。

「そもそも、なんでうんこマークって、あの形なのか?」ということです。

後輩も、「あー、たしかに、なんでこういう形なんでしょうね?」と言っていました。

うんこマークの起源については、wikipediaとかで調べれば比較的簡単に調べられるのですが、それよりも疑問に思ったのが、「どうして今までうんこマークについて疑問に思わなかったのだろう?」ということです。

その後輩も、今まで生きてきて疑問に思わなかったそうです。

本物のうんこは、トルネード状にはならず、多くは、ただの棒として排出されるはずです。にも関わらず、マンガだとトルネード状になってしまうのです。

そして、その事実に僕たちは何も疑問に思わずに生きてきたのです。それって、とても不思議なことだと思いませんか?

■うんこマークの起源

うんこマークの起源については、wikipediaやNaverまとめを見れば、比較的簡単に調べられるので、ここではあまり深く書きませんが、概ね以下の通りです。

・ヨーロッパでは17世紀~18世紀頃に書かれた絵に、うんこマークが書かれた絵が存在している。日本でも、江戸時代にトルネード状のうんこのマークが描かれた絵が存在すると言われている

・マンガであのうんこマークが描かれたのは1971年ののとりいかずよしの「トイレット博士」が始まりだと言われている。

・鳥山明の「Dr.スランプ」では、このとぐろを巻いたうんこに顔を描いた。則巻千兵衛のうんこに顔と手足をつけたうんちくんとの名のキャラが最初のうんこマークのキャラである。これにより、うんこマークが多く知られ、広まった。(wikipediaより引用)

江戸時代からうんこマークなるものは存在していたみたいですが、うんこマークが世間一般の常識(?)として知れ渡るきっかけを作ったのはDr.スランプというのが通説みたいです。

〇ということは……

うんこマークが広まったきっかけがDr.スランプということであれば、うんこマークを見て、「あ、うんこだ!」というのは日本人だけということになります。世界ではまったく通用しないマークです。

実際に日本にやってきた外国人観光客に、うんこマークを見せて「これ何?」と聞くブログ記事を発見しましたが、多くの外国人は「アイスクリーム」と答えるという結果だったそうです。

■当たり前は思考停止

うんこマークの起源で不思議なことは、このようなことを今まで不思議と思わなかったことです。

誰もが、あのトルネード状のマークを見れば「うんこだ!」と言うのですが、そのことに誰も疑問を感じないのです。

これは、多くの日本人は生まれつき、うんこマークはああいうマークだということが、視覚的に植えつけられているため、全然不思議に思わないのです。

日本人は生まれつき日本語で育てられるから日本語をしゃべる、アメリカ人は英語で育てられるから生まれつきネイティブなのと一緒です。

「何で空は青いんだろう?」「なんで虹は七色なんだろう?」ということに多くの人が疑問を抱かないのと一緒です。

まあ、それにうんこマークの起源を調べたところで、僕らには何のメリットもないというのもありますが……。

でも、これってすごい怖いことだと思いませんか?

日々当たり前の光景として見ていることに対して、何も不思議に思わない。これって一種の思考停止だと思いませんか?

そうやって、僕らは何も考えずに、生まれつき教わったことは五感で感じたことを元に勝手に常識を作っていきます。

でも、うんこマークの例を見ればわかるように、それは外国人から見れば非常識だったりします。海外旅行に行ったり、外国人と交流していけば、そんなケースはわんさかあります。

我々が普通と感じていること、当たり前と感じていること、それがルールと感じていること、それはすべて思い込みの可能性があるのです。

思考停止は新しい価値観を受け入れることを拒否します。結果的にそれはビジネスチャンスを逃したり、自分の強みを極める機会を逸したりしてしまいます。

話は逸れますが、たしかトーマス・エジソンは子供の時から「何で1+1=2なの?」とか、「何で〇〇は△△なの?」という疑問を常に発していたと言います。

結果的に、これで小学校の教師と馬が合わなくなり退職することになるのですが、結果的に、この性格が大発明家に育てていったのではないかと思われます。

当たり前を疑ってみる、これがパラダイムシフトのきっかけになるのかもしれません。

■関連記事

【関連記事】「普通」という言葉が嫌いな理由|日常生活の口癖で注意したいこと

ということで、自分は「普通」とか「当たり前」とかいう言葉が、いまいち好きになれません。

これは今までうんこマークに疑問を持たなかった自分がいるように、未だに常識とかに囚われている感じのある自分に対する嫌悪感がきっかけかもしれませんが、

どちらにしろ「普通さあ、こうするよね~」という説教の仕方をする人とは距離を置きたくなってしまいます。

良かったら併せてご覧ください。

シェアする

フォローする

この記事をお届けした
解放デビューの最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!
スポンサーリンク

スポンサーリンク