【小説書評】影法師|友達のためにここまで自分を犠牲にできるのか?

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影法師百田尚樹氏の小説といえば、真っ先に思い浮かぶのが「永遠の0」や「海賊と呼ばれた男」ではないかと思います。自分もそうです。「永遠の0」の主人公の生き様に感動し、「海賊と呼ばれた男」で純粋で情熱的なまでの経営者の生き様に心を揺さぶられました。

この2作は友人が絶賛していたのもあって読んだのですがたしかに絶賛に値すると思いました。まあ、この2作と、去年出版した故やしきたかじん氏の晩年を描いた殉愛とかは、また別途感想を書くとして、今回は上記2作に比べると、やや目立たないかもしれないが考えさせられる作品と感じる「影法師」について感想を書きたいと思います。

 

〇win-winではなくて自己犠牲(lose-win)を描いた小説


この小説を読んだのは去年、10日ほど入院した時でしょうか。入院中って案外貴重な時間だったりするんですよね。強制的に規則正しい生活になるし、積ん読していた本を読む時間も充分できるし、執筆活動もできる。

話がそれそうになりましたが、あらすじを一言で言うと「頭脳明晰で剣の達人の竹馬の友が、なぜあの時卑怯傷を負い、不遇の人生を送っていったか」という感じでしょうか。

永遠の0や海賊と呼ばれた男がそうであったように、本書も、簡潔明瞭ながら的確な描写で、ぐいぐいと人を惹きつける要素のある小説で、純粋なまでの人間の生き様に考えさせられる作品でした。

今回は、竹馬の友を思って自己犠牲を払い、自分は何も言わずに不遇の人生をひっそりと生き、寂しく死んでいく。しかも事実を一切公開することなく。ここまで世のため、人のためを思える人物がいるのだろうか?と読後に腕を組んでしばらく考え込んでしまうような小説でした。

切ない印象で終わる物語は自分好みだし、大きな感動を得ました。ただし、究極の自己犠牲を描いており、この作品で描かれた精神を賛美して良いかどうかは少し疑問も感じました。

「例え自己犠牲であっても相手に貢献する」という姿勢は日本人は共感しやすいのかもしれません。過去、そんな感じの展開の映画やドラマもあったような気がしますが、感動と同時に、少し反発したい気持ちを覚えます。

この作品で描かれたテーマを極端に鵜呑みにしてしまうと、「身を粉にして会社に捧げろ」みたいなブラック企業にありがちな精神に繋がってしまう危険性を感じたのです。

それに実際に読んでて、「どうしてここまで?」という気持ちは最後まで消えなかったですし。そう考えると、永遠の0の結末の方が個人的には納得できるものでした。

個人的に自己犠牲という言葉に違和感を覚えているからかもしれません。「相手を儲けさせて自分も儲かる」「相手を幸せにして自分も幸せになる」というwin-winの精神とは、また違うと感じているからです。

自己犠牲は自分が負けて相手が勝つlose-winですから、結局自分は幸せになれない。こんな状態でずっと相手を勝たすことなんてできないような気がします。いずれ自分が力尽き、誰に対しても貢献できずに終わってしまう。

友のために自己犠牲を払った登場人物がどういう気持ちで晩年を過ごしたか、それがもう少し詳しく書かれていれば、納得できて少し感動度も増したかもしれません。

ただ、ここまで真剣に思い合える仲間がいることはやはり幸せなことなのかなあ、と思ったり。良くも悪くも考えさせられる小説だし、時代小説に苦手意識がある人(自分がそうです)も取っ付き易い内容だと思います。

想像を絶するほどの究極の友情愛、これを読んでどう感じたかをいろんな人に聞いてみたいです^^

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